鈴桜伝記 ー桜ー 序章①

『桜』一章

太陽のもとにある小屋

鈴桜伝記 序章

草原を太陽が明るく照らしている。

青々と生い茂る草は、風に揺れ、心地よさそうだ。

黄色い花をたわわに咲かせたミモザは屋根に向かってお辞儀をしている。

「お日様……」

老婆が窓から外を眺めていた。

老婆のいるこの部屋は古ぼけていて埃っぽい。

窓際に置かれたベッドと、ベッドの向かい側にある鏡台、その右隣に並んだタンスと小さな机。

部屋の中にあるのはそれだけだが、机の上にある奇妙な二枚貝の置物が存在感を示している。

二枚貝は人の頭ほど大きく、主が起きたのに気がついて活動を始めた。

貝殻の隙間から泡と湯気がふわふわと立っている。

カチャカチャと音を立てながら、ときおり白いマグカップが泡の中から姿を現す。

どうやら、貝殻の中でマグカップが洗われているようだ。

老婆は貝殻から発生する音を聞きながら、目を細めて窓の外をながめた。

カーテンのついてないこの木枠の窓からは、朝日が部屋の中にサンサンと入ってくる。

老婆はその光を目に宿し、微笑む。

老婆の髪は白く、手も枯れ枝のように細い。

だが、外を見るまなざしは煌々と照っている。

瞳に暖かい光を灯した老婆は布団の上に視線をうつした。

布団の上にも陽光がぽかぽかと照っている。

布団の上に手を置くと、陽光の中で老婆は白くて弱弱しい手を握った。

握っては開き、握っては開きを繰り返す。

すると、しだいに蒼白だった手が血色を取り戻していく。

老婆は静かにその様子を見ていた。

ニュイラ

とたとたとた

ふと、あどけない足音が、窓の反対側、老婆から見て右隣のほうから聞こえてきた。

たどたどしい足音は扉の前で止まった。

かちゃり

一呼吸おいて、頼りない音を立てながら扉が開いた。

扉のドアノブに手をかけて、こちらを覗き込んでいるのは、小さな子ども。

肩ほどの茶髪は巻き髪になっていて幼子の顔をさらに丸く見せている。

そんな幼子は頭だけを扉の間から出して、くりくりの茶色い瞳で老婆をじっと見つめた。

老婆は幼子に微笑む。

「おはよう」

温もりのこもった暖かい声だ。

「おはよう!」

老婆に笑いかけられた幼子は、ぴょんと跳ね上がって星が飛び出るような声でこたえた。

そしていそいそと扉を開けようとする。

ドアノブを回したのだからもう回す必要はないというのに、幼子は相変わらずドアノブを回して扉を開けようとしている。

そんな子どもの微笑ましい仕草を見て笑った老婆だったが、幼児がなかなか扉を開けられないでいる理由は他にもあったのに気づいた。

大きな絵本を片腕に抱いていたのだ。

幼児の腹を覆うほどのサイズの本。

それは到底幼児が片手で持てる大きさではなく、幼児は自分の腹と扉に押し当てるようにしながら絵本を持っている。

おかげで、寝巻きの白いスウェットは本の重みで下によれてしまっていた。

「あらあら、ニュイラ」

ニュイラと呼ばれた子どもはなんとか扉を開けると、服を直しもせずに、両手で本を抱え直すとえっさらほっさらと歩いてきた。

「おばあちゃん!お話!お話!聞かせて?」

鼻息荒く近寄ってくるニュイラは重たくてたまらなかった本を老婆の布団の上にボスンと乗せた。

そして赤い表紙の絵本を興奮しながら叩く。

赤い絵本

絵本のカバーは赤色のフェルトで覆われていて、表紙の四隅に金細工がある。

高級感のあるたたずまいの割には、表紙の中央に描かれている桜の木と、木を間に隔てて向かい合っている男女はデフォルメ化されて描かれていた。
桜の木のなかには、さまざまなモチーフがいくつも描かれている。

そんな桜の木の絵を見つめながら老婆はニュイラに話しかける。

「本当にニュイラはこの本が好きね。さあ、どこまで読んだかしら」

ニュイラは布団を両の手のひらで叩き、後ろ足を蹴りあげ、ぴょんぴょんと飛びはねる。

「最初から!最初からがいい!おばあちゃんの語りはじめが、僕大好き!」

「いいわよ。ニュイラ」

「わーい!」

「ついでに、そこの紅茶、持ってきてくれるかしら」

貝殻からふわふわと飛んで出てきた紅茶のマグカップは、ゆたりと、貝殻の置かれた机の上に止まった。

老婆はその様子を見ながらニュイラに頼む。

「うん!」

ニュイラは元気よく答えると慣れた様子で2人分のマグカップを手に取る。

老婆はその間に体をもっと起こし、ベットに腰深くかけた。

マグカップを持ってきたニュイラは、ベッドサイドに置くと、ベッドによじのぼる。

「ほうら、今日は美しい空だよ。木もよく見える」

老婆がいうこの樹は、ミモザではない。

遠く、遠くを見ている。

今は朝日のせいでまぶしく、よく見えないが、どうやら巨大な木があるようだ。

その木は天をも貫かんとする巨大な木。

目を細めて樹を見ようとする孫の柔らかい髪の毛を撫でながら、老婆は鈴桜伝記と描かれた絵本を広げた。

青銅鱗の竜

そんな2人を、窓の外から見つめる大きな琥珀色の瞳があった。

メタリックシルバーの青銅鱗に覆われた竜が庭から室内を覗き込んでいる。

軽乗用車くらいの大きさの竜は、皮膜を広げ、腰を低くしている。

朝の太陽に翼をさらして体を温めているようだ。

小屋のそばにあった馬小屋はおそらくこの竜のものだろう。

藁を敷き詰めた寝床のようなものもあるし、大きな顔をうずめられるサイズのエサ入れがある。

おまけに竜は首輪をしていた。

飼い犬ならぬ飼い竜といえよう。

いや、飼い犬にたとえるよりは、飼い猫といったほうがいいかもしれない。

リードもついていないし、竜の頭は大きくて丸い。刺々しい鱗を持ってはいるが、どことなく猫のような雰囲気がある。

翼を広げた竜は顔をもたげながら2人の様子を窓の外からじっと見ていた。

老婆がなにやら語るのを孫はうんうんと頷きながら聴いていて、2人はこちらを見ようとしない。

翼を幾度か羽ばたかせてアピールしてみたが無駄なようだ。

口先のトゲが下につんつんと尖っているからそう見えるのかもしれないが、竜は退屈そうである。

何度アピールしても二人はこちらを見ない。

竜は2人に熱い視線を注ぐのはやめ、その代わり空を見上げた。

竜の首にある桜の形をした首飾りが鈴の音を鳴らした。

竜が見つめている空は晴れ渡っている。

なんの淀みもない。

いや、少しだけ、何かが上空で動いた。

遠くの空で鳥が飛んでいるのを見つけた竜は、瞳孔を細め、首を小刻みに動かす。

ターゲットを正確に捉えた竜は、紙を思い切り引き裂いたような鳴き声をあげる。

竜は羽を1回大きく羽ばたかせ体を浮かせた。三又に別れた羽のついた尾先を地面すれすれで巻きあげる。

力強い羽で飛び上がり、尾をオールのように使いながら推進力を産み、竜は上空へと飛び立っていく。

子どものころの世界と今の世界

慌ただしい竜の動きで思わず窓の外を見た2人。老婆は飛んでいく竜を見上げながら呟いた。

「そう。今は当たり前になったけど、私が子どものころは」

飛び上がる竜の下には小屋の周りの光景が広がる。
小屋から1キロ程度離れたところでは畑があり、そこで畑仕事をしている男がいた。

男は桃色の瞳に汗が入らないよう、汗をぬぐうと頭上を見上げた。

太陽に向かうように、青い鱗の竜が風を切りながら大空へ登っていくのが見える。

「竜も、魔法使いも、賢者もいなかったの」

男の手にはクワはなく、男は今空を見上げているだけ。

それだというのに、畑は勝手に耕されていく。

木の根っこが畑を縫うようにして次々と耕していっているからだ。

根っこは、地中から現れては、また潜っていく。

「でも、きっと、昔からいたのね。彼らは」

竜は雲を切り空まで上がる。

地上から姿を捕捉した場所まで一気に上がってきたが、なにかはとっくにその場を離れていた。

しかし、竜ももちろんそのことがわかっている。

琥珀の瞳をギョロつかせ体を南東の方向に向けると、翼をとじて旋回。

「ぎゃあう」

竜は鳴き声をあげながら右斜め方向に逃げた獲物を追いかける。

ようやく獲物が視界に入ってきた。

獲物の羽は葉っぱそのもの。

顔は鷹のようだけど、こうして翼を広げていなければ鳥だと気づくこともないだろう。

そんな鳥を捕まえようと、竜は口を開ける。

鳥は捕まえられる寸前で、突然力を失ったように落下した。

そのため竜の牙は空中で火花を散らした。

空に揺れる木の葉のごとく揺れ動く鳥。

そんな鳥を捕まえるのは難しい。

竜は空中でホバリングし、今度は後ろ足で捉えようとするが、鳥は羽を畳むとさっきとは一転、機敏な動きで雲の中に急降下していく。

「ぎぃあ」

竜は雄叫びをあげながら鳥のあとを追って雲を切り裂いていく。

雲を切り裂くと現れたのは巨大な、巨大な木。雲と同じくらい高い木だ。

そんな木の目の前で、二匹は小競り合いを繰り返す。

騒がしい目の前の光景はどこ吹く風、木は艶のある葉を誇らしげに風に揺らした。

「きっと、もうひとつの世界で」

鈴桜伝記

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