この作品がこんなにも長編になってしまったのには理由があります。
私はこの作品を自分だけのものにしたかったんです。なぜなら、私のために作った作品だからです。
この作品をはじめて書いたのは中学生の頃です。1年ほど書いていました。それから何年も経って、作品をまた作ろうと思いました。中学生のころに書いた小説をもとにして作り直しました。ほぼ、全てを改変したといっていいです。残っているのは主人公の名前くらいかな。
そうまでして作品を作ったのにはわけがありました。
私は一時期、言葉を話せなくなりました。高熱の後、失読症といって文章が読めない症状が出たんです。もともと小説を書くくらい文章が好きな自分だったから、はじめはショックでした。ですが克服すると決めました。リハビリとして、文字を書いたり読んだりしていくうちに、自分でも作品を作ろうと思うようになりました。また、心の澱が産まれるたびに、それを物語に昇華していきました。
だから、この作品は完全に自分のためのものだったのです。
私は臆病な性格でもあり、作品を公開するのが怖いとも思っていました。
誰かに見せて傷ものにされるのが怖かった。辱められることもあるだろうと思いました。
自分を癒してきた世界だからこそ、その楽園を壊される恐怖がありました。ならば、だれにも見せず、自分だけのものにしよう。そう思って生きてきたんです。だから、何年も何年も一人で書き続けました。
大きな転嫁が訪れたのは、ウクライナの戦争を目の当たりにしてからでした。
私の作品には、3つのテーマが存在します。「無償の愛」「戦争」「環境破壊」です。それを桜をキーにして描いていく作品です。
たかだか小説。しかも無名の作家が描く作品、読んでくれる人が現れるかどうかもわからない。それでも、なにもせずにはいられませんでした。この作品で、ほんの少しでも、戦争や環境破壊に興味を持ってくれる人が現れてほしい。そんな作品にしていきたい。そう思ったのです。
ほかにも理由があります。
この作品を見てわかるとおり、私は和が好きです。日本の伝統建築、着物、季語に桜。私はこの美しい日本をもっと世界に知ってもらいたいと思いました。私ごときの腕でどれだけのことが創れるかはわかりませんが、少しでも美しい日本を知ってもらえたらうれしいんです。
こと、桜といえば、儚いイメージを持つ人がほとんどだと思います。日本で桜は武士の命に例えられることも多く、儚く散るのがよしとされています。実際、人は弱いものです。桜のように儚いところもあるでしょう。ただ、私は桜が弱いものだと思いません。桜は強いものだと思います。どうして桜が強いのか?それを、この作品を通して考えてもらえたらうれしいです。
今、当たり前のように春が来ると咲く桜ですが、桜が咲かなくなる未来がくるかもしれないといわれています。春になれば桜が咲き乱れる、そんなのはおとぎ話……。そんな未来になってほしくありません。
さまざまな想いをもってこの作品を書いています。
ただ、結局のところ、私はこう思っています。
たったの一人でもいいから、この作品を読んでよかったと、そう思ってくれる人が現れたら私は作品を公開してよかったと思います。いつか現れるだろうそのときのために恥ずかしくても怖くても作品を出そうと思います。
たかだか小説一つ、されど、そのたかだかが積みあがって形となるのだと信じています。
御背 銀葉 2024年4月8日